#19

市長からの手紙

市長からの手紙

YKKベトナム社工場のオープニングセレモニー(1999年)

危惧払拭へ新経営理念
父の哲学に「公正」加え強調

1993年にYKK社長に就任した後、当社のファスナー工場があるオランダ・スネーク市(現スドウエスト・フリースラン市)の市長から手紙が届いた。社長就任を祝福するものだが、気になる件(くだり)があった。

「あなたは𠮷田忠雄とは違うから、絶対同じ経営にはならないはずです。どのような経営思想、方針を打ち出されるのですか」

私は市長に「経営の思想も方針も基本的にはこれまで通りです」と伝えた。従業員を大切にし、社会や地域との関わりも尊重した創業者、𠮷田忠雄の考え方を引き継ぐとも説明した。

ただ市長の言う通り、忠雄と私は別人格で経営環境も違うから、全く同じ経営にはならない。眼光紙背に徹して市長の手紙を読むと、地域にとって好ましくない方向に新社長が経営を変えるのではないかという危惧が感じられる。これは放っておけない。

忠雄が率いたYKKの良きイメージが、自分の世代にも求められているのだと痛感した。市長の手紙を一つのきっかけとして、94年に新たな経営理念「更(さら)なるコーポレート・バリューを求めて」を発表した。日本語に直訳すれば「企業価値」だが、私が込めたイメージは「企業ブランド」に近い。

この理念を実践するために7つのキーワードを挙げた。顧客、社会、社員、経営、技術、商品、公正である。基本的に忠雄の経営哲学を引き継いでいるが、私は「公正」を付け加えた。忠雄の経営哲学「善の巡環(じゅんかん)」は性善説に立脚しており、「公正」は言わずもがななのだが、グローバルに事業を展開するには敢(あ)えて「フェアネス」を強調する必要があると考えた。

ファスナーのYKKと建材のYKK APの社長を兼務すると、国内外を飛び回る日々が待っていた。1年のうち3分の1が本社のある東京、3分の1が生産・技術拠点のある富山県黒部市、3分の1が海外で仕事をしていた。

現地法人が多いので、海外出張も忙しかった。当時の秘書によると3月に台湾、4月に北京、大連、5月に米国、6月に欧州。7月ごろに上海、蘇州、無錫、9月にアジア、10月ごろに香港、深圳、11月に再び米国というのが基本的なスケジュールだった。

当時はこれがハードだとは感じなかった。世界中の市場で起きる様々な変化に対応しなくてはならないし、現地法人の数も増えていく。そういう状況だったので忙しいのは当たり前で、きついなどとは感じなかった。

自分の目で現場を確かめないと納得できないタチだ。例えば98年5月にYKKベトナム社を設立しているが、その前に拠点のなかったベトナムのあちこちを、現在のYKK会長である猿丸雅之さんと視察して回った。

猿丸さんによると、経営トップになった私は事業の新しい方針や標語などについて「それは英語で何て言うのか」「それで海外現地法人の社員が理解できるのか」と問いかけることが多く、印象に残っているという。

72カ国・地域で事業展開するYKKグループでは使う言語数が37に及ぶ。ただ私は外国語での表現を細かくチェックしていたわけではない。英語に翻訳される前の、日本語で書かれた方針が明確で論理的かと問う意味合いが強かった。曖昧な日本語でも日本人の社員同士なら「あうんの呼吸」で分かるだろうが、それではグローバルな経営はできない。

#20

グローバル経営

グローバル経営

「技術の総本山」といえる黒部事業所は扇状地にある

多国籍企業の窓口一本化
単一仕様のファスナー供給

1990年代後半、ドイツのスポーツ用品大手のトップが突然、私に会いたいと連絡してきた。彼は私の都合に合わせ、YKKの生産・技術の拠点がある富山県黒部市までやってきた。

翌日の朝食会でこのトップは切り出した。

「全世界の当社商品向けに、YKKが1社で単一スペック(仕様)のファスナーを供給してほしい」

このようなグローバル企業に独占供給できるのはありがたい。だが簡単な話ではない。ファスナーは世界各地の現地法人の工場で生産しており、品質や価格、納期は国ごとに違うからだ。スペックを統一するには、国によっては生産設備の改善など新たな投資が必要になる。しかし多国籍の顧客企業がブランド力の維持向上のため、製品の均質化を目指すのは理解できる。

この会社と新しい契約で合意した後、ほかのグローバルな顧客企業とも同様の契約を結ぶことになった。こうした潮流に対応するため、97年に「グローバル・マーケティング・グループ」(GMG)という新しい部署を社内に設置した。

GMGがグローバルな顧客企業の窓口となり、先方の製品開発の段階から参画し、全世界のYKKグループと連携して供給する。それまでは現地法人同士の連携が不十分で、顧客企業から苦情が出ることもあったが、GMG設置により、ワンストップで対応できるようになった。

GMGの設置、運営で私とともに中心的な役割を担ったのが現在YKK会長の猿丸雅之さんだ。GMGが対応する顧客企業数は現在、約300社に達している。

ファスナーの生産、販売に正確な統計はないが、当社は世界のトップブランドと言われることがある。個数より金額の方が世界シェアが大きいとも言われ、GMGが示すようにブランド力の高い顧客企業が多いことを反映しているが、私は社内に向け「高級路線に逃げるな」と檄(げき)を飛ばしてきた。

現在のYKK社長である大谷裕明さんによると、私は2010年代前半にYKKの国際会議で「このままだとファスナー事業は潰れる」と話していた。ボリュームゾーン向けのスタンダード品が相対的に弱かったからだ。

付加価値やブランドイメージが高いからといって高級品市場に安住するような姿勢では危ないと感じた。かつて当社が「追いつき、追い越せ」と目標にしていた米タロン社は当社に追い抜かれた。トップメーカーの油断やおごりは戒めなくてはならないのが歴史の教えるところだ。警鐘を鳴らし続けた結果、10年前と比べると当社の標準品はかなり強くなったと思う。

標準品を強化するには開発段階からのコストの引き下げにも取り組む必要がある。このため、標準品の市場規模が大きいアジア地域の現地法人から技術者を日本に招き、我々が「技術の総本山」と呼ぶ黒部市の拠点で研修を受けさせている。

アジアに多いイスラム教徒の技術者のため、工場にはハラール対応の食堂をつくったし、黒部事業所内に礼拝所も設けた。新型コロナウイルスの影響でアジアからの来日は思うように進まなかったが、長期的には標準品の開発力も高まるはずだ。

グローバル経営には苦労が多いが、いいこともある。各消費地での生産、販売を原則としていることもあり、為替変動リスクが比較的小さい。