#05

サマージョブ

サマージョブ

米デュポンの上司が描いてくれたサマージョブ中の筆者(1970年)

デュポンで楽しく就業体験
米国で働く意欲芽生える

ニューヨーク大学のビジネススクールは1年でやめ、夏休みには企業で働くサマージョブに参加した。日本の「インターンシップ」に当たるもので、このときの体験が働くことの原点になっている。

1970年の夏に選んだのは大手化学メーカーで超優良企業のデュポン。国際マーケティング部門で英語の資料を日本語に翻訳したり、日本から来た販売担当者の世話をしたりした。日本向けの販売促進用フィルム用にナレーションを担当したこともある。

デュポンでは絵心のある管理職が私の上司となり、仕事中の私の似顔絵を描いてくれた。特定の場面ではなく、様々な場面やイメージを合成して描いたものだ。今も大切に持っている。

絵の中の私は青い背広を着て椅子に腰掛け、足を組んでいる。左手には書類、右手に持っているのはナレーションを吹き込むためのマイクだろう。個室という感じではなかったが、一部屋を与えられ、さすがアメリカだなと感じた。右側の女性は秘書だろう。

楽しい絵で、背表紙に「YKK」と書かれた本が置いてあり、日本航空の鶴のマークが入ったカバンもある。壁に掛けてある絵には、弓を引いて矢を射ようとする人物が描かれ、「グレート・ハンター」と書いてある。ただ言われた通りに勉強するだけでなく、自ら調査をしたり、何かを発見して獲得したりする人物というイメージで、私を表現してくれたものだと思う。

ビジネススクールの学生だったので、企業の幹部候補生という位置づけだったのだろう。大事に扱われ、色々な仕事をさせてもらった。リラックスして楽しく働けた。記念すべき似顔絵は、サマージョブの最後に上司が「プレゼントだ」と言って贈ってくれた。「ありがとう」。感激して礼を言った。

71年の夏休みは製缶大手のアメリカン・キャンで働いた。やはりマーケティング部門のスタッフとして広告会社と交渉したり、社用機に乗って工場に飛び、生産部門と打ち合わせをしたりした。若かった私は飛行機まで乗せてもらってちょっと興奮し、特別な出来事だと感じた。我ながらかっこいいな、と思った。2社でのサマージョブ体験により、米国企業で働きたいという思いが芽生えてきた。

大学の方はシカゴにあるノースウエスタン大学のビジネススクール(通称ケロッグ)に移った。マーケティングを学びたかったからだ。

大学の話からそれるが、米国留学中にニューヨークとシカゴで暮らしたことで、建築に強い関心をもった。ニューヨークではマンハッタンに林立する摩天楼を見上げ、その存在感や美しさに圧倒された。日本の東京・新宿で超高層ビル群が建設される前だったから、衝撃的だった。シカゴでも高層建築物に囲まれた生活を送った。以来、趣味は何かと聞かれると「建築観賞」と答えている。建築の魅力に目覚めたことは、後に仕事の面でも影響することになる。

大学の話に戻ろう。ケロッグの入学式後に開かれた夕食会で、隣に英語のうまいアジア人がいた。フィリピンの元駐日大使の息子であるフランシス・ラウレル氏だった。

日本語まで上手なので、やがて仲良くなった。後に、𠮷田工業(現YKK)がフィリピンに設立したファスナー合弁会社の社長に就任してもらうことになる。米国のビジネススクールが人脈づくりに役立つという話は確かなようだ。

#06

コトラー教授

コトラー教授

マーケティングの父、コトラー氏(右)と再会(2015年)

マーケティングの父に師事
実践重視の講義、今なお交流

1970年に留学した米ノースウエスタン大学のビジネススクール(通称ケロッグ)では生涯の師と出会う幸運に恵まれた。「マーケティングの父」と称されるフィリップ・コトラー教授である。

最初の講義が終わった後、コトラー氏が「ちょっと来なさい」と私を呼んで尋ねた。「君は日本人だろう。なぜ米国に来たんだ」。ケロッグの同期生には現在、エーザイの最高経営責任者(CEO)を務める内藤晴夫氏もいたが、コトラー氏のクラスで日本人は私だけだった。

「勉強するためです」

「何を」

「マーケティングです」

「なぜ」

「米国はマーケティングが進んでいるからです」。ここでコトラー氏から意外な言葉が返ってきた。「日本はアメリカ以上にマーケティングの実践が進んでいるじゃないか」。私はしどろもどろになりながら、こう返した。

「日本に実践はあるかもしれませんが、理論化、体系化ができていません。それをここで学びたいのです」

その場でとっさに考えた答えだった。「日本はマーケティングが進んでいる」と言われたときは、具体的に日本企業のどんな活動を指しているのか分からなかったが、日本人としてうれしかった。

当時、日本ではまだマーケティングという概念が浸透していなかった。今でも翻訳が難しい言葉といえる。「販売促進活動」と捉える人が多いかもしれないが、コトラー氏によればもっと広い概念で、経営そのものとも言えた。

特に印象に残った言葉が「ワン・ツー・ワン・マーケティング」。コトラー氏が教えてくれたが、顧客の満足度を高めるため、それぞれの顧客に合わせて個別対応をするマーケティングを指す。後に𠮷田工業(現YKK)に入社してビジネスマンになると、まさに腑(ふ)に落ちた。

例えばYKKは世界的なスポーツウエアのメーカー数社にファスナーを納入しているが、顧客企業同士はライバル関係にある。当社では各社の要望をよく聞いて、それぞれに合ったファスナーを納めている。同じようなスポーツウエアに何種類ものファスナーを用意しなければならず、手間やコストがかかる。

だが個々の顧客ニーズに合った製品をつくって提供し続けた結果、それまで複数のファスナーメーカーから調達していた顧客企業がYKK1社に絞り込み、当社の受注量が増えたこともある。

コトラー氏は実践を重んじる人で講義も面白かった。企業経営の実例を示し、学生に「自分がトップだったらどうするか」と問いかけ、考えさせていた。頭がとても柔軟で、どんな話題になっても、すぐに対応できる人だった。

72年にケロッグを修了し、経営学修士(MBA)を取得した後もコトラー氏との交流は続いた。私が訪米するとコトラー氏を訪ね、コトラー氏が来日すると私を訪ねるという関係になった。YKKの生産・技術の拠点である黒部事業所(富山県黒部市)に来たこともある。

2015年に対談したときにコトラー氏は「マーケティングは商業的な分野だけでなく、社会のあらゆる分野に応用できる学問だ」と語った。私が創業者、𠮷田忠雄の哲学に沿ってYKKの経営を説明すると、熱心に耳を傾けて質問を連発。そして「YKKのビジネスモデルは、新しい資本主義の道を模索してきた私にとっても大変刺激的です」と語った。