#29

ヤギのチーズ

ヤギのチーズ

牧場のヤギたちと(富山県黒部市)

家族の念願 三女がかなえる
黒部の自然の中で第二の人生

家族そろって食事をしていた2012年の正月、私は4人の娘にこんな提案をした。

「家族でかなえる夢の一つとして聞いてほしいが、実はヤギのミルクからチーズをつくりたいと思っている。誰か1人、チーズ職人になってもらいたい」

娘たちは全員目をそらして黙っている。前年の正月、富山県黒部市の牧場でヤギ10頭を飼い始めたと伝えたときと同じで、ほぼ無反応だった。

だが諦めない。目をつけたのは三女の朋美で、米国のバークリー音楽大学を卒業し、シンガー・ソングライターとしてCDを出していた。顔を合わせるたびに「曲はどこでもつくれるだろう」「チーズづくりの修業でヨーロッパを旅すれば、もっといい曲が書けるかもな」などと声をかけ続けた。12年の夏に「やります」と言ってくれた。

だが、どこで修業すればいいのか。イタリアやフランスから輸入されたヤギのチーズを片端から買い集め、朋美、妻の敬子と私の3人で試食して、味や食感のデータベースをつくった。30種類ほど集まったところで、朋美に「一番おいしいと思ったところで学びなさい」と言った。

師匠探しは難航したが、イタリアでチーズソムリエをしている日本人の知人が、ヤギチーズのコンテストで賞を総なめにしているチーズ職人を紹介してくれた。イタリアに工房を構えるグアルベルト・マルティーニさんである。𠮷田家のデータベースには入っていなかったが、この人のチーズを食べて「これだ」と直感した。私たちは彼を「神様」と呼ぶ。朋美はマルティーニさんの下で修業するため、イタリア滞在を繰り返した。

ところでチーズづくりには脂肪分の含有量などを調べる乳質検査という工程がある。通常、飼育している家畜のミルクはまとめて検査する。私は疑問を感じ、あるとき朋美に「1頭1頭ミルクは違うのに、どうして1頭ごとの検査をしないのか」と言った。

朋美は「異業種からの参入者」である私の提言を実行し、1頭ごとに検査を続けた。データが蓄積されると約100頭の母ヤギのうち、より良質な乳を出す50頭を選んでチーズをつくることができた。

チーズは14年7月に私の個人的企業である𠮷田興産が発売した。翌年5月にはイタリアでヤギチーズ専門のコンテストに参加。40工房120品の中から、最優秀賞に選ばれ「口溶けがよく、ヤギミルクの豊潤さが伝わる味」と評された。

自然に恵まれた黒部でヤギを育てているから、おいしいチーズができていると思う。立山連峰の原生林に降った雨や雪解け水が、花こう岩でろ過され、長い歳月を経て黒部川扇状地に湧き出てくる。ヤギはその水を飲んで育つ。チーズに使う塩も、富山湾の海洋深層水から取っている。

今年1月26日には富山県から「県推奨とやまブランド」に認定されたので同日、私と敬子、朋美の3人で黒部市の武隈義一市長に報告した。

ヤギのチーズづくりは「農業を改革したい」と話していた父、忠雄の遺志を継いだ事業であり、私の趣味であり、家族の夢でもある。同時にパッシブタウンやシアター・オリンピックスと同様、黒部という街の魅力を高める取り組みでもある。YKKグループの経営という第一の人生は終わったが、黒部を愛して尽くす第二の人生はまだ続く。