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オランダのアムステルダムから北北東約120キロのところに、スネーク市という小さな都市がある。オランダらしい美しい運河が行き交うこの街では、季節が来れば桜が咲き誇るエリアがある。それが、日本から贈られた200本の「桜の木」であることを、知っている市民は多くない。あまりに、スネーク市の風景の一部に溶け込んでいるので、その由来を気に留める人は少ないのだ。
でも、どうして、この美しいオランダの街に日本の桜が咲いているのだろうか?
その元をたどれば、YKKとスネーク市の関係に行き着く。
そう、YKKとスネーク市との関係は、あるYKK社員の「若気の至りだった」と言えるような物語から始まる。
話は昭和30年代にさかのぼる。 順調に業績を伸ばしてきたYKKであったが、昭和37年、38年と成長にブレーキがかかった。当時のYKKの主力製品は「ファスナー」であったが、国内の需要がほぼ寡占状態になった上に、輸出市場といっても、東南アジアの一部に限られていた。つまり、マーケットに限界が訪れたのは誰の目にも明らかであった。どうするか?
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「欧米の国々に、わたしたちが自ら売り込みにいくべきです」そんな声を上げたのは、当時32歳の西崎誠次郎だった。考えてもみてほしい。昭和30年代である。まだまだ成長途上期のわが国である。海外進出など考えも及ばない経営者が多かった時代ではないか。しかし西崎の上げた声は、うずもれることなく社長の吉田忠雄の耳に届いた。
輸出部長が西崎の提案をもっていったのだ。それは『ファスナーの使用は文化のバロメーターであり、製品のほとんどは先進国(注:そのころはまだ、アジアは後進であり、欧米が先進であるという認識が一般的だった)の人が使うのだから、そうした国々へ積極的に工場を作っていくべきだ』という意見である。
それは吉田が心の中で考えていたツボに、ぴったりはまるものだった。すぐに、西崎は吉田に呼ばれた。まだまだ若手と思われていた32歳の社員が臆することもなく社長に話した。
「魚のいないところに釣り糸を足れても釣果は上がらないでしょう。一刻も早く部長クラスの人を、調査のために欧米に派遣すべきです」
話を聞き終わると、吉田があっさりと言った。
「人に行かせるんじゃなくて、自分で調査に行って来ればいいじゃないか!」
社運を左右しかねない大きなプロジェクトだ。西崎の足元がグラグラ地震のように揺れた。
(でも自分はまだ…)
一瞬ひるんだ気持ちになり、そんな言葉が口から出かけた。
しかし、負けん気の強い彼は、興奮でぼやけた頭を叱咤して大風呂敷を広げたのである。
「自分はヨーロッパに行って、4、5社ほど作ってみせます!」
言い終わって自分の席に戻ると、西崎の額には汗がにじんでいた。そして、こんな若い自分が社運を託されたんだと武者震いをするのを感じた。
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